今回のテーマは『人間にうまれる確率』です。
大変な失敗をして落ち込んでいる、
自分にはなんの価値もないのでは?
そもそも生きる意味がわからない、
幸せになるために生きているのに何もうまくいかない、、、
そもそもそんな感情が芽生えるのは私達が人間だからなのです。
動物や昆虫に生まれていたら、、
一度、そんなことを本気で考えてみることが幸せへの一歩です。
🐢盲亀浮木のたとえ🐢
かの有名なお釈迦様が残した数々のお話の中で、私が一番印象深いのが「盲亀浮木のたとえ」です。
この話を聞けば大抵の悩みは吹き飛びますよ。
ぜひ参考にしてください。
人間に生まれたことが奇跡
お釈迦様があるとき、弟子の阿難(あなん)に問います。
『そなたは、人間に生まれたことをどのように思っているか?』と。
『はい。大変喜んでおります』と阿難は答えました。
お釈迦様が、『では、どれくらい喜んでいるか?』と重ねて尋ねると、阿難は答えに窮していました。
そしてお釈迦様は、一つの例え話をされました。
『果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その亀は、100年に1度だけ海面に顔を出すのだ。
広い海には1本の丸太棒が浮いている。その丸太棒の真ん中には、小さな穴がある。
丸太棒は、風の向くまま波に揺られ、西へ東へ、南へ北へと漂っている。
阿難よ!
100年に1度浮かび上がる目の見えない亀が、浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴に、ひょいっと頭を入れることがあると思うか?』
阿難は『お釈迦様、そんなこと、とても考えられません。』と答えたのです。
お釈迦様は『絶対にない、と言い切れるか?』と念を押されると
『何億年、何兆年の間にはあるかもしれませんが、ない、と言っても良いくらい難しいことです。』と阿難が答えると、
『ところが阿難よ。私達が人間に生まれることは、その亀が、丸太棒の穴に首をいれることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ。』と教えらました。
これは、譬喩経(ひゆきょう)というお経にでてくる言葉です。
お釈迦様が、人間に生まれることの難しさをこの例え話で教えられています。
千載一遇
🐢盲亀浮木の意味は、非常に出会うのが難しいということです。
その類義語として、『千載一遇』という四字熟語があります。
千載一遇とは、千年に1度あるかないかの絶好の機会という意味です。
まさに!私達は『千載一遇』のチャンスをものにして人間として誕生したことになりますね。
生まれただけで価値がある
私達が人間に生まれてきたこと、それだけで実はとてもLuckyだったのですね。
しかし、人間には思考をする能力が備わっています。
その人間の特権でもある思考が、時には生きることを難しくしてしまうのも事実です。
失敗をすれば落ち込むし、嫌なことがあれば閉じこもりたくなります。
「何のために生きているのか?」
「人生の目的が分からない」
そんなことを考えてしまう方も多いのではないでしょうか。
しかし、そんなことを考えながら漠然と過ごす毎日ほど勿体ないものはありません。
とてつもないチャンスをものにして人間として生まれてきた私達ですが、人生には必ず終わりが来るのです。
落ち込んで、悩んでばかりいたら最後に必ず後悔しますよ!
その時の事を想像してみてください。
『もう悩まないですむ!これで死ねる!やった!』と本気で思う訳がありません。
『生きているときはぼやき苦しみ、最後には嘆き後悔する人生』
私たちはそんなことをするために生まれたわけではありませんよね。
悩むことで答えが出て元気はつらつになれるなら、それは問題はありません。
しかしあなたにもし悩み癖があるのなら、何日間、何年間思考を続けましたか?
残念なことに、考えているうちは答は出ません。
せっかく人間として生まれてきたのです。
人間に生まれたことをもっと純粋に喜び感謝して、人間だからできることをやってみてはどうでしょう?
考えるより心で感じるまま生きてみるのです。
深く考えないことが、幸せに生きている人の特徴であったりするものです。
『やーめた!』と一旦言葉に出して、外に出てみましょう。
すると、家の近くの見慣れた景色までもが新鮮に輝きだしたりするものです。
気付かなかった草花に目が行くようになり、空の青さに感動できるようになります。
そんな些細なことをきっかけに、
人間に生まれたことに感動できるようになります!
はい!心が動いたあなた!もう運が開けて来ました✨
さあ、どんどん開運していきましょう。



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