「つまらない人生を楽しくする方法」は現実を知ることで簡単に理解!

全体運アップ

今日のテーマは『現実を知る』です。

せっかくの一度きりの人生、つまらないなんてもったいないですよね。

大丈夫です!嫌でも人生が楽しめるようになる現実を聞いて下さい。

毎日がつまらない

『平凡な日常がつまらない』

『楽しみなんて何もない』

そんな風に感じている方は以外と多いのではないでしょうか?

そして、平凡で、特別な楽しみなど何もなかったけれど、あのありふれた日常がどれだけ有りがたいことだったのか、、

それを知るのが、自分に何か不幸が起きた時・辛いことが起きた時!そんなことがないようにしませんか?

ここにたどり着いたあなたの運気は、もう上がりはじめています。

一緒に開運しましょう✨

人生がつまらないのはなぜ?

まず、平凡な生活がつまらないのは何故なのでしょうか?

その理由は簡単です。

それは、その平凡な毎日が、明日も明後日も無限に永遠に続くと思っているからです。

あるか無いかもわからない当たり前の人生が、永遠に続くものと勘違いをしているからなのです。

無限に明日が来ると思っていませんか?

人生が永遠に続くと思っていませんか?

刺激だけが人生

無限に永遠に明日が来ることが当たり前だと思い込んでいる限り、人生に求めるものは刺激のみになります。

ここで言う刺激とは、大概、お気楽で簡単なもので済んでしまうのです。

異性との出会い・お酒の誘い・SNS、、、

そう言った安易なものに人生の貴重な時間を費やしていくことになるのです。

安易なことでも、新しいことに出会うと刺激を受けます。でもその刺激は長くは続かず、すぐに飽きてしまうのです。

そしてまた、満たされない毎日の中で、次なるお気楽な刺激を求めさ迷うことになります。

暇だからランチ、暇だからカラオケ、暇だから飲み会、暇だから、暇だから、

まさに、暇つぶし人生ですね。

時間という現実と向き合う

私達は人生を生きていく上で、時間というものを大切にしています。時間は全ての基準になるものです。

私達には体内時計がセットされていて、脳だけではなく、すべての細胞にセットされているのです。

なぜそれだけ、人間において時間とは重要であるのかを具体的に考えてみましょう。

ぜひ、自分の人生を時間にして計算してみてください。

例えば、平均寿命を85年とした場合、744,600時間が人間に与えられた時間です。

744,600時間=人生

ということになります。人生とは、生まれてから死ぬまでのことですよね。つまり、人生を時間に換算できるということは、人間において時間とはです。

毎日がつまらないと思っているあなた、命を何時間暇つぶしに使いますか?

5年で43,800時間

10年で87,600時間

あなたの命は、時間の経過とともに確実にどんどん減っているのです。

人生は有限と気付くことが「つまらない人生を楽しくする方法」です

しみじみと感じてみてください。

1日は24時間、1日には必ず終わりが来ます。時間は命なので、命にも終わりは来るのです。

さらに言えば先ほど計算した時間が、確実に私達に残されているということではありませんよね?

私達の人生は有限なのです。

「毎日がつまらない、、、」

そのように感じている方は、何もない平凡な日常がずっとずっと無限に永遠に続くという思考を無意識持っているからなのです。

まず!!目覚めることから始めましょう。無意識に自分の人生の舵を取らせてはいけません。確実に減っていく命という時間に向き合いましょう。

まずは、私達の命は永遠ではないという『現実を知る』ことです。

それが府に落ちると、それだけで人生がつまらないものではなくなります。

あなたはにも人生の終わりは必ず訪れます。

その時「これでつまらない人生とはサヨナラできる!」なんて思えますか?そんなことを思って人生を終えたいですか?

本気で仕事に取り組んでみるのも良し、趣味に没頭するのも良し、たった今から、本気を出して生きてみましょう!!

🐢盲亀浮木のたとえ🐢

かの有名なお釈迦様が残した数々のお話の中で、私が一番印象深いのが「盲亀浮木のたとえ」です。

この話も人生を貴重なものだと気付かせてくれる有意義なお話なので載せておきます。

これを聞けば大抵の悩みは吹き飛びます。ぜひ参考にしてください。

人間に生まれたことが奇跡

お釈迦様があるとき、弟子の阿難(あなん)に問います。

『そなたは、人間に生まれたことをどのように思っているか?』と。

『はい。大変喜んでおります』と阿難は答えました。

お釈迦様が、『では、どれくらい喜んでいるか?』と重ねて尋ねると、阿難は答えに窮していました。

そしてお釈迦様は、一つの例え話をされました。

『果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その亀は、100年に1度だけ海面に顔を出すのだ。

広い海には1本の丸太棒が浮いている。その丸太棒の真ん中には、小さな穴がある。

丸太棒は、風の向くまま波に揺られ、西へ東へ、南へ北へと漂っている。

阿難よ!

100年に1度浮かび上がる目の見えない亀が、浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴に、ひょいっと頭を入れることがあると思うか?』

阿難は『お釈迦様、そんなこと、とても考えられません。』と答えたのです。

お釈迦様は『絶対にない、と言い切れるか?』と念を押されると

『何億年、何兆年の間にはあるかもしれませんが、ない、と言っても良いくらい難しいことです。』と阿難が答えると、

『ところが阿難よ。私達が人間に生まれることは、その亀が、丸太棒の穴に首をいれることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ。』と教えらました。

これは、譬喩経(ひゆきょう)というお経にでてくる言葉です。

お釈迦様が、人間に生まれることの難しさをこの例え話で教えられています。

千載一遇

🐢盲亀浮木の意味は、非常に出会うのが難しいということです。

その類義語として、『千載一遇』という四字熟語があります。

千載一遇とは、千年に1度あるかないかの絶好の機会という意味です。

まさに!私達は『千載一遇』のチャンスをものにして人間として誕生したことになりますね。

生まれただけで価値がある

私達が人間に生まれてきたこと、それだけで実はとてもLuckyだったのですね。

しかし、人間には思考をする能力が備わっています。

その人間の特権でもある思考が、時には生きることを難しくしてしまうのも事実です。

失敗をすれば落ち込むし、嫌なことがあれば閉じこもりたくなります。

「何のために生きているのか?」

「人生の目的が分からない」

そんなことを考えてしまう方も多いのではないでしょうか。

しかし、そんなことを考えながら漠然と過ごす毎日ほど勿体ないものはありません。

とてつもないチャンスをものにして人間として生まれてきた私達ですが、人生には必ず終わりが来るのです。

落ち込んで、悩んでばかりいたら最後に必ず後悔しますよ!

『生きているときはぼやき苦しみ、最後には嘆き後悔する人生』

私たちはそんなことをするために生まれたわけではありませんよね。せっかく人間として生まれてきたのです。

人間に生まれたことをもっと純粋に喜び感謝して、人間だからできることをやってみてはどうでしょう?

深く考えないことが、幸せに生きている人の特徴であったりするものです。

『やーめた!』と一旦言葉に出して、外に出てみましょう。

すると、家の近くの見慣れた景色までもが新鮮に輝きだしたりするものです。

気付かなかった草花に目が行くようになり、空の青さに感動できるようになります。

そんな些細なことをきっかけに、

人間に生まれたことに感動できるようになります!

はい!心が動いたあなた!もう運が開けて来ました✨

さあ、どんどん開運していきますよ✨

 

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